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大晦日の過ごしかた
日本文学の名著のなかから、
美しい文章を抜粋し、
それを書き写すことで、
目や心で、美しい表現を学びとる練習帳。目で読むだけと、
目で読み、音読し、書くのでは、
筆者の想いの伝わりかたも、
言葉の美しさの感じかたも、全然ちがう。大晦日に選んだのは、
与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』24才の弟が戦争に徴兵された想いを、
ただ真っ直ぐに訴える晶子の切なさ、
理不尽を嘆く苦しみがひたひたと胸をうつ。与謝野晶子というひとの、
反戦も、恋愛も、その社会に向かう強さの源は
苦しいほどの愛の深さだったのだろう。ささやかでも、年の瀬らしい準備をし、
平和な年越しを迎えていることの
いかに幸せかを感じる大晦日。すべての天恵に感謝し、
ご縁あり、私に出会ってくださった
すべての方々の健やかな幸せを願います。 -
不滅の恋/ベートーヴェン
宿泊したホテルのシアターサービスで、
映画を2本観ました。ヘップバーン主演の
『シャレード』と、ゲイリー・オールドマン主演の
『不滅の恋/ベートーヴェン』
これがとても良かった。耳が不自由という
致命的なハンディキャップを
もちながらも、
「楽聖」と呼ばれるほどの
偉業を後世に残した
音楽家ベートーヴェン。情熱的で、
感情の起伏が激しく、
恋多き男性だったそうですが、彼の死後に見つかった恋文。
それはベートーヴェンからの
「不滅の恋人」に宛てたものでした。この女性が一体誰だったのか?
今もなお、
世界中の研究者たちが
論争を繰り広げているテーマを
大胆な仮説のもと映画化した
ストーリー。全編にベートーヴェンの曲が
効果的に使われていて、月光の流れるシーンは
とてもドラマティック。あのラストシーンが、
もし事実だとしたら、彼の人生は、
奪われ、なくし続けた、
切望の日々だったのではないか。芸術とは、
『切望』を埋めようとする、
途方もない苦しみと、『才能』の出会いから
生まれる美しさなのか。ゲイリー・オールドマンの
危うさが溢れる演技に、
眼が離せませんでした。 -
ダンサー セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣
才能の源泉は『切望感』なのか。
彼の才能を開花させるため、
父と祖母は海外に出稼ぎし、
家族はバラバラに暮らしていた。彼は家族を一つにするために、
英国ロイヤルバレエ団
至上最年少のプリンシパルに
上り詰めた。でも『切望感』はみたされず、
その、ほとばしる『感情』を、
本人さえもコントロールできない。『 何を成し得たか 』よりも、
『 何を目的にしたか 』こそが、
心の豊かさに関わる大切なこと。そして『満たされない表現者』とは、なんと美しく、人の心を打つのだろう。映画 ダンサー セルゲイ・ポルーニン
世界一優雅な野獣 -
ゆるすということ
こころが、悲しみや怒りで
いっぱいになったとき、それを封じ込めようとすると、
内側の感情は扉をドンドン叩き、心はその鼓動に疲れはて、
乾いてパサパサになってしまう。そんな時に思いだしたい1ページ。
■ 過去のよいおこないを語る儀式 ■南アフリカのバベンバ族では、
部族の誰かが不正を働いたり、
無責任な行動をとったとき、
村の真ん中に、
一人で座らねばなりません。もちろん、逃げられないような
手だてが講じられます。村人はみんな仕事をやめ、
集まって輪になり、
その人を囲みます。それから、子どもを含めた全員が
一人ひとり、その人が過去にした
よいことについて話しはじめます。その人について
思い出せることすべてが、
詳しく語られます。その人の長所、
善行、親切な行為などすべてのことを
輪になった一人ひとりが詳しく語るのです。村人たちは、
これ以上ないほどの誠実さと
愛を込めて話します。誇張もでっち上げもゆるされません。
不誠実な態度や、
皮肉な態度をとる人もいません。その人を共同体のメンバーとして、
いかに尊敬しているか村人全員が
話し終えるまで、この儀式は続きます。それは数日間に及ぶこともあります。
最後に輪が崩されると、
その人を部族に再び迎え入れる
お祝いが始まります。この儀式が、
美しく伝えているように、
愛を中心に考えれば、
ただ一体感を取り戻すことと、
ゆるしがあるだけです。 -
エルメスの道 ~ 竹宮恵子 (comics)
一人の人間の信念から始まったことが、
時代、才能、運、時間、縁といった、
人間にはコントロールできないことにまで
奇跡的に繋がって、
ブランドが創りあげられていく様。神から愛され、承認されるほど、
職に全身全霊を投じたものだけが享受する
特別な力がそこに働いているようにさえ
感じました。人間が成果を模倣し、意図的に行う
ブランディングが浅はかに感じるほどに。 -
あの日どこかで 1981年アメリカ
肖像画の美しい女性に恋をした男性が、
もうこの世にはいない女性に逢うために、
1910年代の洋服を着こんで瞑想し、
タイムスリップするというロマンチックなお話。主演は「スーパーマン」の、
クリストファー・リーヴとジェーン・シーモア。この映画のダンスシーンで、
手を握れることへのアメージングと、目の前の女性の美しさに
心底陶酔しきっている、クリストファー・リーヴの素直な歓びの表現がとても好き。恋って盲目。そんな純度の高い感情を思い出させてくれる、ノスタルジックな作品。この映画は興行当初、あまり注目されなかったそうですが、いまでは、舞台となったグランドホテルでファンの集いが行われるという聖地になっています。まずは、ロマンチックなサントラを。。↓ -
映画 / 女系家族 1960年 日本
好きすぎて何度観たかわからない映画
1960年上映の 【女系家族】主演は最愛の女優、若尾文子さん。
強かで凛とした美しさ、
印象的なしっとり低音ヴォイス、
透き通るような白い肌。番頭役は、中村鴈治郎さん。
小ずるい目の据わり方、泳ぎ方が秀逸。
全てが巨悪ではなく小悪党という塩梅がよい。伯母役の浪速千恵子さんは、
意地が悪く、気位だけは高いのに
底は浅い・・という憎憎しい役を、
ものすごい迫力で演じています。仕舞の師匠役の田宮二郎さん。
色悪な男が本当に似合う役者
まったく惚れ惚れする・笑観音開きのタクシーや、
路地の長屋が残る50年前の日本、あの船場吉兆のささやき女将が
育まれた街であることが
伝わる土地の雰囲気と地言葉ストーリー、キャスティングともに
好きすぎる映画トップ10の1本です。 -
人生論ノート ( 三木 清 ) ~嫉妬心について
先日、西田幾多郎哲学記念館を訪れ、
西田幾多郎が、三木清が教え子であったことを知り、
昨夜、久しぶりに紐解いた一冊が、『人生論ノート』今から10年以上前、披露宴の司会をしていたころ、上司から部下への祝辞で、この本の一節が引用されているのを聴き、興味をもって購入した一冊。『希望について』『成功について』など、
人生に関わる様々な言葉について、論じた本です。私自身が未熟ゆえに、解釈に混乱する箇所が多々あるなか、『嫉妬について』の冒頭に今の私は、とても惹きつけられました。2017年の、My人生テーマに掲げているのは、『 純粋意欲に忠実に生きる 』その目的は、『 独自性 』や『 感性 』を育むことです。外からの情報を優先していては、決して生み出せず、自分の内側、心の声に忠実に行動することからしか磨かれないものを大切にしたい。そう思った根底には、実は『嫉妬心』に縛られない生き方を、無意識に選びとろうとしている思考があるのではないか?と、ふと気づいたのです。『 嫉妬心 』とは、苦しいもので、大切に育んでいたささやかな自信すら、根こそぎ奪って、地に叩きつけます。替わりに植え付けられる、『憎しみ』や『恐れ』が萌芽し成長すると、蔦の葉が絡まるように心が縛られ、硬直し、動けなくなってしまう。しかも、自信を奪い、憎しみを植えつけるのは、他者ではなく、自分自身であるから厄介。でも、ひたすらに自分を深めていくと、
他人は『 嫉妬心 』という、苦しい感情の対象であってもなお、相対で自分を知るためには、無くてはならない尊い対象だと気づいていく。『憧れ』と『嫉妬』の源泉は、ともに、対象者の魅力への気づきですが、『憧れ』は、奪われる恐れが何もなく、むしろ、活力や、夢を与えてくれる、〝 安全な領域 〟から生まれるもの。『 嫉妬 』は、その逆で、大切な何かを奪われたり、自分の価値観を否定される恐れがあり、不安という、苦痛な感情を与える、〝 危険な領域 〟から生まれるもの。だからこそ、その不足感はどこからやってきて、何に恐れていて、何があれば、それを埋められるか、突き詰めて考えることは、結果的に、自分を知り、深め、『独自性』や『感性』を研き、心の器をひろげ、自分を創りあげる機会になっていくのです。下記は『人生論ノート』三木清 著書↓〝嫉妬心について〟より冒頭を抜粋 ↓~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~嫉妬は悪魔にふさわしい属性である。天真爛漫は美しいが、嫉妬は醜い。
なぜなら嫉妬は質的なものではなく、
量的にはたらくからだ。
嫉妬はつねに多忙なのである。では嫉妬をどのように克服できるのか。
しばしばあなたも自信をもちなさい
と言われるだろうが、その自信はどうしたらもてるのか。
おそらく何かを作り続けるしかあるまい。
その何かの中に自分を発見するしかあるまい。
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映画/未来を花束にして
いま、あなたや私が自由に生きられるのは、
100年前に生きた女性たちからの、
命の贈り物を受け取っているからです。舞台は、今から100年前のイギリス。
『心の平静を欠く女性には政治的判断は向かない』
『女性参政権を認めたら社会構造の崩壊だ』
そんな、あまりにも差別的な理由で、
当時女性には参政権が与えられていませんでした。劣悪な洗濯工場で7歳から働きはじめ、
男性より労働時間は長いが、賃金は3分の1。職場での性的圧力にも抗うことができない。
男性に殴られても耐えるしかなく、
離縁する際にも親権はない。それが労働者階級の女性たちの、
当たり前の生き方だった時代。「もしかしたら、別の生き方があるのでは」
という、一縷のささやかな希望を持ち、
封建的な社会に立ち向かい、自らの意思で、
死をもって闘った女性たちの実話です。英国では1918年に制限付き女性参政権が、
日本では1945年に女性参政権が獲得されました。
サウジアラビアでは、つい最近の2015年です。今、私たち女性が行使している選挙権や、
政治への参加。その当たり前だと思っている権利は、
多くの女性たちが、悔しさに絶叫し、大切なわが子や家族との生活を奪われ、
涙をながし、命をかけた苦難によって、
保障された尊いものであるということを、現代に生きる私たちは、顕在的に
もっと自覚せねばならないと思いました。【 権利を得ることは義務を引き受けること 】
私は、当時の女性たちに誇れるほどの義務を
社会に対して果たしているだろうか?キャリー・マリガンの、
静かな慟哭ともいえる表情の演技が素晴らしく、映像が、当時の動画に切り替わるシーンでは、
涙があふれました。そして、金沢のシネモンドでは、
観客の半数が男性だったことが嬉しかった。 -
『男の年輪』 写真家 秋山庄太郎 作品集
ご近所の耳鼻咽喉科に行くと、待合室でいつも開いてしまう『男の年輪』日経新聞の『私の履歴書』を飾った写真を
収録したものの一部を集めた写真集ですが、待合室のやや高い場所、
子供の目線には見えない場所に、
ひっそりと、この一冊が存在するセンスが私好み。この耳鼻咽喉科では、補聴器の無料貸出を
勧めるポスターが貼られていた。補聴器の使用は、老眼鏡の何倍も、
心情的に躊躇うことだと思う。年を重ね、褪せゆく身体に
やるせない切なさも感じるかもしれない。そんなとき、文豪や、芸術家や、政治家の、
年輪を重ねなければ表現できない、匂いたつような渋みや鋭さ、
豊かな自我や、独自の包容を、
その貌から感じられたとしたら、人生の褪せゆく旅路の意外に長いことにも、
期待や愛しさを感じるのかもしれない。老眼の男性が目を細める仕草は、
大人の色気がにじむ、なんとも魅力的なもの。とはいえ、深みをもって成熟し、
仕草や風貌からも味わいが増すことは、
放っておいて身に付くものではなく、そんな自分の未来を
イメージし続けた人だけが、
手にすることが許される、大人の勲章のようにも思う。