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紅型~びんがたを探して
チャンプルーの國は、伝統文化もまた
友好的で、混沌と新しさを育む。読谷村の工房で、
琉球ガラスや、やむちん焼、伝統工芸館で、人間国宝の紅型の着物や首里織、
琉球漆器などを見学。どんなものも「真に良きもの」に至れば、
そこには無類の美しさが宿る。紅型(びんがた)の着物と言えば、
去年の今ごろ、こんな思い出があります。しいのき迎賓館のポールボキューズでの
結婚式に参列されていた着物姿の女性が
私の目には、一際輝いて見えた。年の頃は30代、黒髪のショートボブ。
金沢城の紅葉を一望する、
大きな一面ガラスのテラス、これまで見たこともない
新鮮な存在感を放っていたのです。加賀友禅が、金沢の自然に寄り添う、
風のように優雅な美しさだとしたら、
その着物は、金沢の自然を抱きしめる、
大地のように悠々とした美しさだった。門外漢の私はその参列者の女性に
「この着物はどちらのものなんですか?」
と、伺ったら、「これは沖縄の紅型・びんがたです」
と、その人は仰った。晩秋のない國で生まれ育った着物が
こんなにも紅葉に映えるということ。青空と真紅のデイゴの咲く亜熱帯の
明るく鮮やかなイメージの紅型に、こんなにも落ち着いた、
胸打つ不思議な魅力があるなんて。装う人とのマッチングも然り。無意味に華美に流れず、
景観の一部として、
真の存在感を放つその人から
私は目が離せず、
好奇心が抑えられなかった。その好奇心は1年後も続いていて、
今日は紅型との心踊る再会を探す1日でした。残念ながら、今日はあの日の感嘆には
出会えなかったけれど、
いつの日か紅型の着物で
晩秋の金沢を歩きたいという楽しい夢は
これからもずっと続く。 -
声は大切なコミュニケーションツール
声は大切なコミュニケーションツール。
自己満足ではなく、相手が聴きやすく、
心地よいと感じてもらうための声を鍛える
音声言語指導の先生と、声に対するお互いの価値観を話し合うなかで、
とても共感した言葉です。もちろん、トレーニングをすれば
誰もが声優のような特別な声になれる・・・というわけではないけれど、持って生まれた、自分の声という財産を、
味わいのある域まで研くこと。それならば誰にでもできるはず。
その先生の声は聴いているだけで
心までがとても癒される。安定感のある鍛えられた声。
聴覚は、視覚とは違い、
眠っている間も働き続け、
脳に情報を送っている敏感な感覚。楽器の調べや、自然界の音色と同じように
人間の声もまた、人の心を
癒すことができることを改めて実感。そんな声に少しでも近づきたいから、
一歩一歩、諦めることなく歩んでいこう。 -
旅人が惹かれるもの
地中海料理の人気店でランチ。
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プロフィール写真は、美しさより、意図が大事
仕事用のプロフィール写真は
『宣材写真』とも言います。つまり宣伝材料となる写真。
仕事で使用する以上、
きれいに見せることが目的ではなく、求めるお客様の目に確実に留まり、
仕事を増やすことが目的。SNSが当たり前の世の中、
第一印象以前に、
ホームページやblogのプロフィール写真から、『第ゼロ印象』は始まっています。だから意図をもって撮影しなくてはならない。
どんなイメージを強調したいのか。
誰の目に留まりたいのか。
どんな仕事がしたいのか。もちろん、リアルで会う前提ならば、
実物と写真のギャップは、
人物そのものの不誠実感、
マイナスイメージを形成するから、過度な修正や昔の写真の長期使用は要注意です。今日は来年用のプロフィール写真の撮影でした。
意図をもって撮影に臨み、
最終的に選んだ写真は、
カメラマン、ヘアメイク、私、
三者の意見が一致した渾身の一枚。意図した通りの一年が送れますように。。
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一番に開封したくなるメールの書き方
社内研修を担当させていただいた企業に、
お礼メールをお送りしたところ、
今日、こんな返信を頂き、とても嬉しかった。本日、午前に頂きましたメールの文章が
とてもステキで感動しました。
あのような文面のメールは
今まで頂いたことがないので、
とっても印象に残りました。
ありがとうございます。メールのやり取りはこの時代、
だれもが日常的に行っていること。一日に何十通と届くメールを処理するのは
ときには苦痛や疲労を伴うものですが、そのなかで、差出名を見たら、
一番に開封したくなるメールを送るにはどうすればよいのか。わたしが普段、意識していることは3つだけ。
①色や香りをイメージさせる言葉
②感情を乗せた言葉③相手の立場を思いやる言葉①色や香りとは、
街路樹の紅葉や桜、青空、夕焼け、
花の香りなど、五感の情緒を
刺激する言葉。②感情とは、
嬉しかった、楽しかった、感動した
など、自分が感じたことを伝える言葉
『心から感謝申し上げます』といった
定型文ではない、素直で本心の感情③相手の立場を思いやる言葉とは、
お風邪めされませんように、
お大事に、お疲れが出ませんように、
など、その人の今の状態を理解し
寄り添う言葉。どれも簡単なことだけど、
オフィシャルなメールばかりの環境にいるひとは、楽しみにしてくださったり、ご自身の日常やプライベートを
少しメールに添えてくださるようになったりと、
お互いの気持ちが一歩近づく感じがします。失礼ではない範囲で、
長々としない範囲で、
ほんの少しだけ心を届ける。メールというツールは忙しいときには
ビジネスライクになりがちだからこそ。以前、映像を専門とする男性から
頂いたメールが私のお手本です。メールを開いた瞬間、
心地よいフォントや
絶妙な行間、漢字の美しさ、目に飛び込んできたのは、
『しあわせなお知らせという絵』読む前から心地よい余韻を与える
そんなメールを送れるようになりたいと、
日常の気ぜわしさに
押しつぶされそうなとき、
ふと、思い出すのです。 -
交換したのは“お菓子”ではなく“想い”
女友達とのお昼ごはん。
彼女は私に、吉はしさんの上生菓子『霜月』を。
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大切な友人のご尊父が旅立った日
今日の富山県は、
立山連邦が際立つ美しさでした。大切な友人のご尊父が旅立った日。
この世で十分に役目を終えた身体を
静かに置いて、魂が自然に還った日。鮮やかな紅葉と、すみわたる青空と、
優しげな雲と、爽やかな秋風が両手を広げて魂の帰還を祝福し、
この世での功績を
褒め称えているかのよう。山形県人でありながら、
最期は仕事場である富山県に
想いを馳せていた方だから、立山連邦もまた、
ご尊父の旅立ちを凛とした表情で、
姿勢をただし、
優しく敬礼しながら見送っているように
私は見えた。一人っ子の彼女は立派に喪主を勤め、
残された母を労り、周囲に配慮していた。物語のように温かく心に響く、
喪主の挨拶を聴きながら、ご尊父はどんなに安堵し、
誇らしい気持ちで、我が娘を
見守っていたことだろう。いつの日か必ず訪れるその日までに、
私もキチンと大人になろう。