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小さな敬意・些細な丁寧
今日は丑の日。鰻のかば焼きを買い求めました。
その足で、自然食のお店に行き、
いつもの五分づきの玄米ではなく、
鰻に合うように白米に精米してもらう。丁寧に焼いてもらった鰻だと思うと、
精米したての品質の高いお米を用意したくなる。朝採れの枝豆だと思うと、
贅沢に、茹で塩から珠洲の天然塩を使おうと思う。木なり完熟のトマトなら
へたをとって、塩を浸透させてラップして
最高においしい冷やしトマトにしてあげたい。人間同士もきっと同じだろう。
お店の雰囲気に合わせて
装いを選ぶお客様には (敬意)
きっと心地よい接客がもたらされる (丁寧)新築住宅に家具を運ぶ家具やさんの
靴下が冴え冴えと真っ白だったら (丁寧)
その人は名前で覚えられて、
施主に感謝されるだろう (敬意)丁寧には、敬意が返ってくる。
敬意には、丁寧が返ってくる。そして不遜には、軽蔑が返ってくるだろう。
大人であるからには、
【小さな敬意】を払われるひとになりたいし、
【些細な丁寧】に気づけるひとになりたい。私が考える日常の一座建立って、
そんなこと。ピカピカに精米されたお米のために
土鍋を用意しながら、ふと、そう思った2013年丑の日。 -
理想の女性像はありますか?
あなたには、理想とする女性のイメージはありますか?私には、追い求める理想の女性像があります。
終戦前後の日本で活躍した、
人形作家で、アーティストで、編集長で、イラストレーターの中原淳一さん言葉の数々は、まだ10代だった私に、理想の女性を明確にイメージさせてくれました。終戦1年後の8月15日、
「 それいゆ 」という少女向雑誌を創刊した
中原淳一さんのことは、
ご存知の方も多いと思います。日本の女性がまだ、
破れた服を破れたまま着ていることに、
恥ずかしさを感じる余裕さえなかった時代。「 美しく自分らしく生きる 」
「 美しく暮らす 」ということを提唱し続け、
生涯をかけて活動したモラリスト。中原さんの言葉を読み返すたびに、
60年前の言葉とは思えない新鮮さに驚く。つい漫然と日々を送ることに反省し、
背筋がシャンと伸びる。中原淳一は
「美しくない」ことが許せない人だった。「美しい」とは、外見の美はもちろん、
やさしい心遣い、思いやり、弱い者や悩む人への愛、謙譲の美徳、
清潔な清々しさといった、
人間の在り方すべてであり、日常の暮らしを「美しく生きる」ことによって、
初めて、人生を楽しみ、
生きることを喜ぶことが出来る。という。「美しい暮らし」とは、家庭の生活を
きりまわしてゆくのに必要な、
理知的な技術によってつくられるもので、それを知っているか否かで、その人の一生が暗くもなり、
明るく豊かにもなる。中原淳一はそれを
「 女性の真心が形になって表せる技術 」
と、呼びました。人間のテーマは
時を超えても変わらないものだし、
娘時代に憧れた理想像は、
おとなになっても変わらないもの。中原淳一氏の 「美しく生きる言葉」は、
私にとって、女性として生きる思考の原点。