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coccinelle. 私たちの7つのクレド(credo)
1 最高の自己探究のきっかけを創造します。お客様の内なるイマジネーションの活性化を、
自由な対話(ロマンシングダイアログ)を通して行い、
創意工夫と着想から生まれた1着のドレスで、
美しく、豊かで、奔放な自己探究のトリガー
(きっかけ)を創り出すことをわたしたちは
無上の喜びとします。
2 「創り手」の視点で、
常にものごとの本質を見極めます。偏狭な「経済的視点」から見て、都合の良い
価値観や同調圧力に影響されることなく、
常に広い世界からものごとを認識する視点に
わたしたちは価値をおきます。
3 自分も、他人も、自然も、地球も、
いのちあるもの全てを大切にする姿勢を
持っています。生き方、考え方、モノづくりすべてに、
メメントモリ『死を想う』精神性を
貫くことで、「いのちの尊い輝き」に対し、
わたしたちは常に謙虚であり続けます。4 大量生産・大量消費の愚行を犯しません。
装い手の人生哲学を表現するドレスは、
「数多く持つこと」よりも、
深く考えて創り「長く着続けること」で
魅力が高まります。
流行に振り回されない知性、現実的で高度な
合理性をわたしたちは大切にします。
5 美意識に誠実な「最終回答」を
問い続けます。創造やサービスにおいて、プロフィット
(利益)至上主義ではなく、スピリット(精神)から
生まれる美意識に耳を傾け、最善・最良の
最終回答をお客様に提案することを、
わたしたちは第一優先とします。
6 社会におけるノーブル・アクティビスト、
品格ある活動家を目指します。糾弾ではなく、芸術性を武器に、
わたしたちは唄うように愛をこめ、
ものごとを表現していきます。
7 常に愉快かつ朗らかな環境を心がけます。人生に面白みを見つけながら、妥協なく
純度の高い哲学を持ち、
日々愉しいと感じられる大人の余裕を
わたしたちは深く愛します。クレド(Credo)とは「信条」「志」「約束」を意味するラテン語で、企業活動の拠り所となる価値観や行動規範を簡潔に表現した文言Facebookページのフォローをお願いいたします!最新情報の閲覧、お問い合わせはこちらから↓ -
最愛のブラックフォーマルを探す旅
表地、裏地ともに丹後シルクのブラックフォーマル女性はいつもブラックフォーマルを探している。
ちゃんとしたものが欲しいけれど、
理想的なものが見つからない。しかも意外に高価である。
純粋に惹かれない服を買うのは、
気持ちが乗らない。だからいつまでも探し続けている。
ブラックフォーマルほど、長く着る服はなく、
人生で何度も袖を通す服はない。断捨離が日常に定着しているひとの
洋服選びの基準の一つは、『 30回着るだろうか? 』だそうですが、
オールマイティーなブラックフォーマルは、生涯にわたり、30回以上着るだろう。ちゃんとしたブラックフォーマルがほしい。
なぜなら、
大勢がブラックフォーマルで集まったとき、
その差が如実に表れる。黒とは奥深く、ある意味、残酷な色だと、
誰もが潜在的に知っているから。ちゃんとしたブラックフォーマルとはなんだろう?
その条件のひとつは機能的であること。
機能性は美しい所作の基本でもあります。■長く着ても疲れない、緩やかなデザイン
■袖が折れて、お茶出しや水仕事もスムーズ
■着こなしで用途がひろがる美しさと機能性が両立し、
からだにぴったりな印象美なブラックフォーマルは、
日本のセレモニーシーンの景観に必ず貢献するはず。ほんの数ミリ、立ち上がった襟元が、
女性の美しさに最大効果を発揮する。デザインはこのくらい控えめでちょうどいい。
先日、ご納品したお客様のスナップコラージュです↓お仕事を持つ40代の聡明な女性 (Noble Activest)は、長い目で見ると経済的で、日本文化への敬意や、セレモニーシーンの景観にも貢献できる消費活動だと、大変、喜んで下さいました。最新情報の閲覧、お問い合わせはこちらへ↓Facebookページのフォローをお願いいたします✨#TangoNoirProject
#丹後ちりめん
#京都与謝野町
#300年の歴史を誇る絹織物
#オーダーメイド
#宮眞
#WORDROBE
#着物を着ること以外で着物文化を守る挑戦
#印象美
#美しいシーン一つ一つが街をつくる -
Chant de coccinelle.Japon.の車窓から
東京広尾の片隅にある、小さなアトリエがてんとう虫(coccinelle.)たちのお城です。2019年8月神様の不思議な舵取りで、自然にチームとなった、かなり個性豊かな3色のてんとう虫たち。それぞれが時間をかけて研いてきた能力を持ちよって、スタートしたオーダーメイド専門 レディスブランドが、「 Chant de coccinelle.Japon. 」大吉運の社名画数にこだわり、やたらと長くなりましたが(笑)皆さんは「 コクシネル 」と呼んでください。デザイナーは、英国オーダースーツのテーラーであり、服飾思想家の 木場 紳匠郞さん。洋裁師は、オートクチュールメゾンで16年余、ドレスを作り続けてきた、星 芳宏さん。プロデュースは、ことばと印象(イメージ)のコミュニケーションを20余年、専門としているわたし。(印象美プロデューサー小西敦子)本来、こうした身内の場合、対外的な文章などでは敬称なしが一般的ですが、私たちは、お互いを尊敬しあうコミュニケーションを心地よく感じる3人です。また、クライアントを「お客様」と表現することにも、他人行儀な違和感があります。「古くからの友人」や「大切な親戚」のような、温かい親しみと、愛情あふれる敬意を併せ持った、新しい呼び方を、模索している途中です。まぁ、そこらへんから、社会標準にペーシングしないという個性を、のびのびと発動している、自由で、美しいものが大好きな、夢みる大人たちです(笑)さて、私たちが提供しているのは、「 最高の自己探求の機会 」です。夢と冒険にあふれた対話をとおして、あなただけの、世界でたった一枚のドレスを作る経験は、自分史や、美意識や、価値観や、感情といった、目に見えないとても大切なものを、装いという、目に見えるものへと映しだし、「あなたの人生」と「この世界」を、美しく繋ぎます。つまり「 Chant de coccinelle.Japon. 」は、あなたにとっての歓びと、この世界にとっての歓び、双方一体の充実を目指しています。キーワードは「用の美」紳士服地で仕立てる女性服メンズスーツの歴史が紡いできた生地の特長は、上質 且つ 堅牢。紳士たちが、威厳を装いで誇示するために、また、騎士が乗馬するシーンでも、激しい運動量に耐えうる丈夫さが求められたため、紳士服地は、丈夫で仕立て映えするという、実用的な特長があります。しかも、その生地をたっぷりと贅沢に使用することで、服にかかるテンションを最小に抑えて耐久性を高め、優雅なドレープが、重厚で、美しいゆらめきをつくりだします。本当の豊かさとは、所有している洋服の数や、価格では決してなく、考え尽くして選んだ熱量や、何度も袖を通してこそ得られる ‘幸せの記憶’ です。それが結果的に「大量生産 大量消費」という、これまでの経済活動の愚行を手放し、「この世界」と「あなたの人生」双方一体の歓びに繋がると私たちは信じています。「 いい服を着ているね 」と言われたら、それは私たちの敗北。「いつも素敵な人ね」と、自然に伝わることや、あなたをよく知る身近な人が、「純度の高いあなたらしさ」に感動することこそが私たちの勝利です。ウェディングパーティーでは、ドレスが新婦の美しさを際立たせるように。年齢ではなく、内なる成熟が装いで表現され、あなたの存在が空間の質を高めるように。あなたのふるまいが景観の一部となり、小さくて美しいシーンをつくりだすように。オーダーメイドのドレスであろうと、シャツとデニムであろうと、あなたは何一つ変わらない。naturalでsensuousなプレゼンスであるように。「 Chant de coccinelle.Japon. 」の拠点はふたつ。ひとつは、東京の広尾アトリエおいしいお菓子を食べたり、季節のお花を生けたり、美術館での感想を話しあったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、その一方で、伝票を真剣に書いたり、愛をこめて、お洋服を仕立てています。もうひとつの拠点は金沢。レストランエンヌさん2階のプライベートルーム、または、ホテルのスイートルームにて、月に一度、Atelier Show を開催しています。お寿司はデフォルト。お客様の営まれる和風オーベルジュにお邪魔したり、夜は主計町にも出没。お客様の、人生を愛する装いづくりをとおして、私たちもまた、人生を慈しみ、愉しむことを信条としています。昨日、渾身のリーフレットが完成しました。一字一句、すべてに意味のあるものをと、連日深夜、3人でチャットミーティングし、寝不足と興奮の間を行き来しながら、売れっ子作家さながら、本気で作りました。たった8面ですが(笑)ブラボー!coccinelle.お付き合いくださったデザイナーさんには、一ミリ単位の修正と、怒濤の校正、、、本当にありがとうございました!この春から本格始動する、「 Chant de coccinelle.Japon. 」なんと、まだホームページもありませんよ。なぜなら、一番大事な「方針づくり」の練度を高める会話が愉しくて、アンドロメダ辺りまで話が広がり、行きつ戻りつ時間がかかってしまい、すぐには作れない、我らてんとう虫の歩み。「 まぁ、いいか🙂 」と、焦りもしない厚かましさも、大人のリソースです。にもかかわらず、たくさんのお客様が、信頼して応援してくださり、とても励まされています。星さんは、この冬、洋裁師人生で一番たくさんのコートを、仕立てられたそうで、毎日、とても幸せそうでした。お洋服を作っている時間は、ずっと「装い手」のことを想い、丁寧に工夫する、夢のような時間なのだそうです。「 Chant de coccinelle.Japon. 」は、あなたにとっての歓びと、この世界にとっての歓び、双方一体の充実を目指しています。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。イベントなどのご案内、お問い合わせは、Facebookページのフォローをお願いいたします✨ -
ハマスホイとデンマーク絵画展
日曜日の夕方、雨、パンデミックへの警戒、、、 .
いろんな条件が重なったからか、
週末とは思えないほど入場者の少ない館内。ハマスホイの描く世界観にふさわしい、
ゆったりとした静かな環境で、
念願の作品たちを鑑賞することができました。白とグレーのグラデーションが描き出す
静謐な美しさを讃える作品たちは、デンマークの人々が今も大切にする価値観
「ヒュッゲ~寛いだ心地よい雰囲気」を
象徴するようでした。時代の美意識がハマスホイの目が捉えた
美しきものたちに大きく近づいている。そんな確信を深めました。
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金澤老舗百年展 ~ いまに生きる老舗
◼️ 物心両面の豊かさとの邂逅 ◼️
金沢老舗百年展、明日16日までなので、
是非金沢の皆様には足を運んでいただきたい。先日の鼎談のなかで、
鈴木大拙館木村館長がおっしゃっていました。
「 時間の経過とともに歴史は生まれるが、
時間の経過だけでは伝統は生まれない。」どんなに小さな規模であっても、
商売を続けるということは、
たゆみない反復と、
時代に問いかけ、変わり続ける熱量が必要で、創業者はゼロから市場を開拓し、
継承者は伝統を守り、革新し続ける。そんな金沢100年企業の誉れ(ほまれ)の舞台裏を
垣間見るような企画展でした。子供の頃から慣れ親しんでいた会社だから、、
というのもありますが、
私は「うつのみや」という本屋さんの
企業を映す言葉が好きでした。
「 知性と情操をお届けする 」高度成長期以前の昭和の時代から、
モノではなく、心の成長や豊かさに
フォーカスしていらしたことを知り、 -
アートと親族という関係性
金沢21世紀美術館が開館する際に、
メキシコ在住の石彫刻家である従兄の作品の
所蔵が決まり、親戚中が喜び湧きたち、
誇らしい気持ちで皆が展示を観覧しに行きました。「さて? この石はなんなんだ?」と、
現代アートの見方がわからない門外漢たちは
首をかしげながらも、自慢げだったものです。まるで我らがDNAそのものに
社会から承認を得たかのように。あれから15年。
今では世界で活躍し、銀座でも個展を
ひらくようになった従兄の作品が、21美15周年の企画展で展示されていると聞き、
今日、再び会いに行きました。ダイナミックに活躍できる空間との出会いを、
待っているようにも見えました。創り手が、広い世界を求めて
金沢からメキシコに旅立ったように、メキシコからやってきた作品たちもまた、
自由な世界に憧れる魂をもち、
籠の外に希望を抱いているのかもしれない。そして、この15年の間に旅立った
親戚の叔父伯母の顔を思いだしながら、
心で対話する一日でした。美術館に展示されている作品にはすべて
作者がいて、その向こう側にはかならず
家族や親族の誇らしさがあると思うと、
この美術館という場の体温が、
ふんわりと高くなった気がしました。#金沢21世紀美術館
#hiroyukiokumura
#現代アート
#メキシコ
#ハラパ
#アトリエ @ 金沢21世紀美術館 -
第8回金沢・現代会議 時代に生きる 時代を生きる
「 鈴木大拙の「大拙」とは、
大馬鹿者という意味である。」鈴木大拙先生のご存命中、
15年間、秘書を勤められた岡村美穂子氏の、
そんな語りから始まった「第8回現代会議」当日は政治学者の姜尚中氏の講演会、
鈴木大拙館館長との鼎談と続きました。岡村さん、姜さんのお話は「無心」という
キーワードでリンクしており、
一聴講者として、下記備忘録。逆に「拙くない」というのは、
主観と客観の分別値が発達すること。賢くなり、物事を作為的に謀るようになると
自分が見えにくくなり、迷いが始まる。質の高い安心が得られなくなると、
人は不自由になり、生きづらくなる。また「美しい、美しくない」という
価値観を超えられなくなる。だから「拙い」ことが大切なのだと。
.
「拙い」とは「無心」であり、
それは絶対的な受動性である。そして、ここで重要なのは、
大拙の「大」とは「大小」という、
相対での「大」ではない。1つしかない尊いものであり、
「大小」の囚われを打ち破る、
絶対的なものであるということ。「大拙」とは、
固有の価値を見くびらず、
分別の世界を超えた「無心」という在り方。私たちは、知識や教養を身に付け、
分別のある大人になろうと努力したり、
賢くなりたいと願いますが、「陰極まれば陽となる」
その向こう側では「大馬鹿者」を願う。
過去と未来。
馬鹿と利口。
善と悪。すべては分離したものではなく、
シームレスに続くひとつの世界なのだと
感じました。そういえば、スティーブ・ジョブズの
スタンフォード大学卒業式の
伝説のスピーチでのラストメッセージは、 .
.
.
「 Stay Hungry. Stay Foolish. 」鈴木大拙と禅の思想に心酔していた
スティーブ・ジョブズもまた、
固有の「大拙」であることを願った
一人だったのでしょう。#StayHungryStayFoolish
#鈴木大拙
#禅
#ZEN
#現代会議 @ 金沢市文化ホール -
店主は王様、客は旅人
「私はどんな立場か」によって、ふるまいは変わる。店主は王様で、客は旅人。という設定はどうだろう。店主は、この世にはない自分だけの王国を作りたくて、理想をかかげて店を構える。従って、その国の法律を制定するのは王の役割。旅人は行きたい国に自由に訪問できるし、いろんな国で、様々なおもてなしを受ける。ただし、その国のしきたりを大切にする友好的な旅人であることが前提。「 郷に入れば郷に従え 」という旅人の心構えが、その国での経験を豊かなものにする。客は神様ではない。神様は、万物の創造者だけど、客は、その国の建設や維持に全く関わっていない。「常連」と言う名の親善大使に王様から任命されることはあっても、自分で名乗るときには、「常連(非公認)」という謙虚さも大事。旅人は、様々な国を訪問する自由を持ち、各々の国の文化を体験することができる。王様は、友好的な旅人をあたたかく迎え、国民(家族と従業員)の生活を守りながら、独自の文化を育み、理想の王国を目指す。きのう、加賀市にある「イヴェールボスケ」という洋菓子を販売するカフェに訪問しました。その王国のコンセプトは、「静けさを愉しむこと」よって「私語禁止」旅人は自分が発する音に責任を持ち、静かにすることは決して我慢ではなく、むしろ静けさの価値を求めてやってくる。「カフェとはおしゃべりを愉しむ場所」という設定で訪れた女性の旅人たちや、そのコンセプトがまだ理解できないであろう小さな子供を連れたファミリーの旅人たちが、入国拒否されて、不穏な表情で立ち去る場面を、何度かみたことがある。時には「こんな国には二度と来ない!」と、不平不満を訴えながら。きのう、久しぶりに訪れたイヴェールボスケでは、旅人全員が王国のしきたりを理解し、それを求めてそこにいることが一目でわかった。静かなたたずまいで、本を読んだり、思索をする旅人たちの姿が、王国の景観にとけこみ、美しい一枚の絵のようだった。自国のしきたりを旅人に理解してもらうまで、王様は非難されたり、それに悩んだりしながら、それでも諦めずに理想の王国をめざし、自国の美意識を貫いてきたのだろう。静かな国を作りたいのではなく、静けさを愛する成熟した文化の豊かさを伝えたい一心で。(たぶん)今までで一番、穏やかで、幸せそうな王様の表情がそれを物語っていました。#加賀市#イヴェールボスケ#静カフェ#理想の王国#視点を変える#理想主義者が王国をつくる -
エアリーフローラという希望
石川県産の7色のフリージア。
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情報の断捨離は美しき自己防衛
「 純粋欲求に耳を澄ます 」
というマイテーマを大切にするために、日常生活で意識しているのは、「 情報の断捨離 」という実験。心地好くない情報が勝手に耳に入らないように、テレビ(特に地上波の情報番組)はつけない。雑誌も活字が勝手に目に入ってくるので、興味を喚起するものしか読まない。世の中で話題になっているからといって、ドラマも、映画も、スポーツも、本も、興味が湧かなければ見ない。それを続けて1年経つと、旬の芸能人には、すっかり疎くなり、ニュースは、本やネットから収集するので韓国や中国の要人の名前の発音が分からなくて、社会適応できない側面が増えてくる。一方で、興味がないもの、心地好くないものは、徹底して見ない。聞かない。読まない。を続けると、たまに整体院の待合室などで避けきれずにテレビ番組を見ると、大変な違和感を感じます。芸能人の不倫や麻薬疑惑に大騒ぎする大人たち。幼児虐待死の詳細な殺めかたのレポート。小さな汚職の追及、巨悪の容認。老後や貧困に関する極端な例の実態。私は1年前まで、この暴力的な情報の嵐をなにも気にせず受け入れていたんだ。と驚く。世の中には、美しいことや、愉しいこと、幸せなことだって溢れてるのに、なぜ、憎悪や恐怖、辛苦、悲しみばかりにフォーカスするのか。もちろん、脳内お花畑でいることを薦めるわけではないけれど、むやみに不安や恐怖に支配されない自己は大切。国民を不安にさせることは、支配者にとっては効果的であろうけれど。。例えば、きれいな音楽を聴いて、
おいしいお茶をいれて、花を活け、甘いお菓子を頂きながらゆっくり過ごす。お気に入りのバスソルトを入れたお風呂でゆっくりリラックスする。映画やドラマも、皮肉なもの、暴力的なもの、悲しいものではなく、愉快なもの、優しい気持ちを誘うもの、人生を慈しめるものを優先して観る。それを意識して、ずっーと続けてみる。そうすると、
実際に生きているこの世界そのものが、美しく見えてきて、世の中には優しい人、親切なことに溢れていると、感じられるようになり、意地悪な人や、卑怯者とは会わなくなってくる。だって、もともと私たちが生きている世界は、そういう場所なのですから。自分の中にないものは外からやってこない。
対立、憎しみ、怒り、悲しみ、、、心の中にそういう感情があれば、
外から同調する波動がやってくるのは当たり前。だったら、そんな感情を煽る情報は、入れなければよい。不要な情報を断捨離する。それは、いつも幸せに充たされる人生のための、自己防衛でもある。