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BLOOM WITH…
ローズ、ジャスミン、チュベローズ、
イランイラン・・・
芳香を放つ名立たる贅沢な花々で構成する
名香「JOY」は、世界大恐慌のころ、
1930年代に生まれました。 -
印象美との7年目の旅
「印象美」の商標登録証が届いたのは、
6年前の今日でした。法的には漢字3文字から成る「印象美」
ということばを、決められた区分の範囲内で
所有する権利を得ているけれど、現実は「意味づけ」を探求し続ける旅券を
得たのだと解釈している。「印象美」ということばを、
6年前は「自分」と「他者」の間に
存在するものと捉えていたけれど、いまは「自分」と「世界」の間に
存在するものだと理解している。どんな世の中になろうとも、
どんな環境におかれようとも、「わたしの人生は美しい」と捉え、
心から愛することができる人こそが、
人生における最高の成功者。WORDROBEは、
ひとびとが、自分の人生を
「五感」と「ことば」で、印象美な物語に意味付けするための援助者としてこれからも存在し、「印象美」という素敵なことばを、
探求し続けていきます。#商標登録
#印象美
#WORDROBE -
独りよがりを超えたエゴイズムこそ
ここ最近「サービス」「商品」
「コンテンツ」の在り方について
考えています。これらをつくりだすとき、
それは
「誰に求められているのか」
「どのようなかたちにすれば伝わるか」
「どこにお客さんはいるのか」など、
マーケティングを軸にした問いをたてる。そして、考え、生みだし、回収し、
見せ方を変えながら、伝え、また迷う。一周回ってみて、いま思うのは、
誰に求められてなくても、
誰にも伝わらなくても、
たとえ現世にお客さんがいなくても、それでもやりたいとおもうこと。
作り出したくてたまらないことに
真なる価値があるように思えてならない。 .「独りよがり」が放浪の一人旅をして、
「エゴイズム」にたどり着いたとき、原点は同じであっても、
エッセンスは濃縮されて、
より純度の高いものになっている。他人にも、社会にも色目を使わず、
自分の本音を大切にして、
「利己」に没頭した結果、生み出したものをメタでみたら、
「利他」だった。
というのが理想である。『自分の人生を愛すること』こそが
よろこびの根本なのだから、
エゴイストになることを怖れてはいけない。
#WORDROBE
#印象美哲学
#純度の高いエゴイズムには必ず共感者が存在する
#その範囲がしあわせの器
#論語
#七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず -
お下がりという、スピリットのバトン
大好きなお店で使っていた、
大切な椅子たちを譲り受けました。つぎは我が家の小さなライブラリーで
この椅子に座って仲間と語り合ったり、
お茶やお菓子をいただいたり、
本を読んだりしながら、
小さな歴史を繋げていけるのがうれしい。窓辺に座って冷たい梅酵素ジュースで、
久しぶりに会話を交わしましたが、
人と話すのはやっぱり愉しいなぁ。緊急事態宣言解除の朝の出来事。 -
新しい目で、この世界を見る
根菜だけのポトフ、バタ付きパン、果物
平日の遅めの朝食。 -
3/11に振り返る、アナウンス業をやめた理由
大人とは、仕事と私心を分けられる人だとずっと勘違いしていましたが、大人とは、自由に生きながらも、道を外れない人です。20年余り続けたアナウンス業をやめた理由、
それは原発にも由来します。司会者はクライアントの代弁者なので、
クライアントの意図を正しく理解し、
聴衆を誘導する役割を担います。年齢とキャリアを重ねるなかで、
「原発」「宗教」「政治」といった、
アイデンティティに関わる責任の重い内容で、自分の信条や価値観に反する言葉を発し、
イベントやプロモーションの下支えすることが
耐え難い苦痛になり、8年前、コミュニケーションの世界に
飛び込みました。トレーナーとして初めて作ったクレドは、
「自分の想いを、自分の言葉で、正直に届ける」愚直で稚拙な言葉ですが、
今もその当時の想いに変わりはなく、
正しい選択だったと揺るぎなく信じています。いまは、コロナで藁にもすがる思いの方も
大勢いらっしゃるでしょう。生活は大事。
だけど、ご自身や会社のアイデンティティに
傷をつける仕事は選ばない。
という矜持もどうか大事にしていただきたい。そう、今日の日にしみじみ思うのです。合掌。
2020年3月11日 -
お金で買えない価値を得る
大豆を18時間ゆっくり浸水し、
お鍋3個をたっぷり使って3時間、
見守りながら丁寧にコトコト。。浸透圧でふっくらした豆を冷まして、
ザルに上げるところまでが自宅での下準備。風通しのよいベランダに
茹でた豆の鍋を並べて粗熱とっています。今日は毎年恒例となった、
手前味噌作りの日です。以前はその手間隙かけた行程を
億劫に感じて、『市販の高級味噌を買ったほうが
早いし経済的なのでは?』という、時間をお金で買いたがる、
効率優先の思考が自分のなかに、
習慣化していました。でも、いつの頃からか、
「安全な食の選択」という、身体をいたわる「行動」に、
身体をいたわる「こころ」は、
伴っているだろうか。と、自分に問いかけるようになりました。
他人任せの高価な花束を贈られるよりも、
時間と愛情をかけて選ばれた小さな花束に、
人の心が動くように、
(価値観は人それぞれですが)私たちの身体だって、
時間をかけ、心をこめた労り(いたわり)に、
好意的な反応を示すのではないだろうか。国産有機大豆の新豆
国産有機コシヒカリの麹(こうじ)でつくる、
どこにも売っていない自家製の手前味噌。しかも、石黒種麹店の石黒さんの
チェック&ラストタッチ付き🙂#CORONA_HOLiDAYS
#有機味噌作り
#石黒種麹店
#美人FOOD
#人生を愛する生き方
#発酵食
#金澤ジェンヌたちのたしなみ -
しあわせの本質は少女時代に佇む
魚座の新月♓
今日という浄化にふさわしい一日は、
朝から日本酒風呂でポカポカになり、1969年に連載が開始された、
「暮しの手帖」のエッセイ。母が定期講読していたこの連載を、
毎月楽しみにして何度も何度も読み返し、
どれほど、この世界観に憧れたことか。今ならば、白いテーブルクロスを敷いて、
ゆったり朝食をいただく休日も、とっておきのチョコレートにあわせて
紅茶を淹れることも難なく実現できる。#暮しの手帖
#すてきなあなたに
#憧れを生きる歓び
#魚座の新月
#WORDROBE -
店主は王様、客は旅人
「私はどんな立場か」によって、ふるまいは変わる。店主は王様で、客は旅人。という設定はどうだろう。店主は、この世にはない自分だけの王国を作りたくて、理想をかかげて店を構える。従って、その国の法律を制定するのは王の役割。旅人は行きたい国に自由に訪問できるし、いろんな国で、様々なおもてなしを受ける。ただし、その国のしきたりを大切にする友好的な旅人であることが前提。「 郷に入れば郷に従え 」という旅人の心構えが、その国での経験を豊かなものにする。客は神様ではない。神様は、万物の創造者だけど、客は、その国の建設や維持に全く関わっていない。「常連」と言う名の親善大使に王様から任命されることはあっても、自分で名乗るときには、「常連(非公認)」という謙虚さも大事。旅人は、様々な国を訪問する自由を持ち、各々の国の文化を体験することができる。王様は、友好的な旅人をあたたかく迎え、国民(家族と従業員)の生活を守りながら、独自の文化を育み、理想の王国を目指す。きのう、加賀市にある「イヴェールボスケ」という洋菓子を販売するカフェに訪問しました。その王国のコンセプトは、「静けさを愉しむこと」よって「私語禁止」旅人は自分が発する音に責任を持ち、静かにすることは決して我慢ではなく、むしろ静けさの価値を求めてやってくる。「カフェとはおしゃべりを愉しむ場所」という設定で訪れた女性の旅人たちや、そのコンセプトがまだ理解できないであろう小さな子供を連れたファミリーの旅人たちが、入国拒否されて、不穏な表情で立ち去る場面を、何度かみたことがある。時には「こんな国には二度と来ない!」と、不平不満を訴えながら。きのう、久しぶりに訪れたイヴェールボスケでは、旅人全員が王国のしきたりを理解し、それを求めてそこにいることが一目でわかった。静かなたたずまいで、本を読んだり、思索をする旅人たちの姿が、王国の景観にとけこみ、美しい一枚の絵のようだった。自国のしきたりを旅人に理解してもらうまで、王様は非難されたり、それに悩んだりしながら、それでも諦めずに理想の王国をめざし、自国の美意識を貫いてきたのだろう。静かな国を作りたいのではなく、静けさを愛する成熟した文化の豊かさを伝えたい一心で。(たぶん)今までで一番、穏やかで、幸せそうな王様の表情がそれを物語っていました。#加賀市#イヴェールボスケ#静カフェ#理想の王国#視点を変える#理想主義者が王国をつくる -
情報の断捨離は美しき自己防衛
「 純粋欲求に耳を澄ます 」
というマイテーマを大切にするために、日常生活で意識しているのは、「 情報の断捨離 」という実験。心地好くない情報が勝手に耳に入らないように、テレビ(特に地上波の情報番組)はつけない。雑誌も活字が勝手に目に入ってくるので、興味を喚起するものしか読まない。世の中で話題になっているからといって、ドラマも、映画も、スポーツも、本も、興味が湧かなければ見ない。それを続けて1年経つと、旬の芸能人には、すっかり疎くなり、ニュースは、本やネットから収集するので韓国や中国の要人の名前の発音が分からなくて、社会適応できない側面が増えてくる。一方で、興味がないもの、心地好くないものは、徹底して見ない。聞かない。読まない。を続けると、たまに整体院の待合室などで避けきれずにテレビ番組を見ると、大変な違和感を感じます。芸能人の不倫や麻薬疑惑に大騒ぎする大人たち。幼児虐待死の詳細な殺めかたのレポート。小さな汚職の追及、巨悪の容認。老後や貧困に関する極端な例の実態。私は1年前まで、この暴力的な情報の嵐をなにも気にせず受け入れていたんだ。と驚く。世の中には、美しいことや、愉しいこと、幸せなことだって溢れてるのに、なぜ、憎悪や恐怖、辛苦、悲しみばかりにフォーカスするのか。もちろん、脳内お花畑でいることを薦めるわけではないけれど、むやみに不安や恐怖に支配されない自己は大切。国民を不安にさせることは、支配者にとっては効果的であろうけれど。。例えば、きれいな音楽を聴いて、
おいしいお茶をいれて、花を活け、甘いお菓子を頂きながらゆっくり過ごす。お気に入りのバスソルトを入れたお風呂でゆっくりリラックスする。映画やドラマも、皮肉なもの、暴力的なもの、悲しいものではなく、愉快なもの、優しい気持ちを誘うもの、人生を慈しめるものを優先して観る。それを意識して、ずっーと続けてみる。そうすると、
実際に生きているこの世界そのものが、美しく見えてきて、世の中には優しい人、親切なことに溢れていると、感じられるようになり、意地悪な人や、卑怯者とは会わなくなってくる。だって、もともと私たちが生きている世界は、そういう場所なのですから。自分の中にないものは外からやってこない。
対立、憎しみ、怒り、悲しみ、、、心の中にそういう感情があれば、
外から同調する波動がやってくるのは当たり前。だったら、そんな感情を煽る情報は、入れなければよい。不要な情報を断捨離する。それは、いつも幸せに充たされる人生のための、自己防衛でもある。