• 備忘録~『ひと、こと、もの』で、インテリア・建築・まち・都市を考える

    石川県インテリアコーディネーター協会主催、

    小津 誠一さんの講演会を拝聴しました。

    小津さんは建築家であり、有限会社E.N.N.代表で、
    土地、建物、地域を包括した仕組み作りを通して、
    〝空間〟から、ひと、こと、もので満たされた
    〝場〟を、作っているかたです。
    講演で、心に残った4つのキーワードから、
    建物と人間という視点での、個人的な雑感を、
    備忘録として、まとめました。
    (注: 確証バイアスを大いに発動させています(笑))
    ●定量的な視点から、定性的な視点へ。

    人物の魅力は、スペック(出身校や資格、実績)
    だけでは量れない。
    数値化できない固有名詞での評価、
    例えば、信頼度や人脈などが、
    現実的には、転職や独立後に役立つように、
    建物の魅力もまた、
    坪数、駅から○分、築○年、部屋数など、
    数値だけを評価する視点ではなく、
    まち全体からみた立地や、
    目的との親和性など、
    感覚から得られる特性を評価するという、
    新しい視点を持つことが、
    暮らし始めたあとの満足度に関わる。
    ●フロー(新築生産)から、ストック(既存再生)へ。
    『 畳と女房は新しい方がいい 』
    という諺(ことわざ)があるように、
    ひとにたいしても、ものにたいしても、
    『 新しいものに価値がある 』という
    根深い信仰が日本人にはある。
    先進国での中古物件の割合は、
    アメリカ 88.7%
    イギリス 88.3%
    フランス 67.0%
    日 本 14.6%
    古くなるほどに、価値は下がり、
    住宅は資産ではなく、
    負債に向かっていくという日本の常識は、
    果たして、人生をしあわせにするのだろうか。
    『経 年』は、見立て次第で、
    『味わい』や『コク』や『成熟』となる。
    それは、人も建物も同じ。
    ●リフォーム(改善)から、リノベーション(革新)へ。
    古いものに手を加えて、
    現状復帰に近づけるのではなく、
    より良いものに刷新していく発想は、
    人にもあてはまる。
    長年積み重ねた豊かな人生のキャリアや、
    貫禄や、威厳といったものを、
    装いや、ふるまいや、思考や、
    言語表現からも、
    新しい年代の魅力に作り替えていく意識。
    若さにしがみついて現状復帰に向かうか、
    年齢を受け入れ、魅力の表現を
    リノベーションしていくか。
    ●住宅 = 個人としての表現 から、
    住宅 = 社会的存在としての表現へ。
    住宅は、地域の資産価値に関わるもの。
    個人の土地建物を、
    個人の趣味の延長線上に置くことは、
    地域の資産価値を下げる稚拙な行為。
    これは、人にもあてはまる。
    人は、地域の景観の一部。
    私たちの、自己主張した見た目や行動が、
    まちの景観を汚す可能性を、
    社会的存在として意識することが大切。
    石川県インテリアコーディネーター協会様、

    小津 誠一様、
    自分事として考えられる、
    貴重なお話を伺う機会をありがとうございました!

  • 女性リーダーのキャリアアップ研修

    今日は朝一番で企業研修。

    1年がかりで進めている、
    女性リーダーキャリアアッププログラムも
    最終章に入り、お一人お一人の思考に
    新たな萌芽を感じる春。

    私は25年間、
    事業主として働いているので、

    自分の市場価値は、
    自分で作るものだと、
    当たり前に思ってきたけれど、

    組織に所属していると、
    それがわからなくなるもの。

    自分がこれまでやって来たこと、
    そこから得た能力、
    今後、更に価値を高めるために研くべき資質、
    活躍できる世界の広がり。

    感情を持ち込まず、
    判断できるプロフェッショナルの
    第三者のもとで、

    それらを客観的に知ることは、
    必ず自信に繋がります。

    いつもより一時間早く起きた朝は、

    朝陽が一際輝いて見えました。
    いつもと違う結果は、
    いつもと違う行動からしか生まれない。
    フリーアナウンサーとして、行政、民間、団体等、
    幅広い分野で社会と関わってきた、
    コミュニケーション・トレーナーである私と、
    組織活性化を得意とする、
    IT企業管理職出身のキャリアコンサルタントが、
    協働している女性リーダー向キャリアアップ研修。

  • MASTERS ~ 30年前の思い出

    今から30年前のオーガスタ、
    マスターズ本戦直前の練習ラウンド。

    ジョージア州に留学していたころ、
    マスターズとはなにか?すらも知らずに観戦。

    つまり、生まれて初めて足を踏み入れたゴルフ場が
    オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブなのです。


    楽園のように美しいグリーンと咲き誇る花々。
    本戦前の高揚感とリラックスが入り交ざった会場。

    いまもテレビ中継を見ると
    その日のことを鮮明に思い出します。


    懐かしい選手の若かりし頃。
    ニクラウス、セベバレステロス、ジャンボ尾崎、
    中島常幸。
    生涯、アマチュアを貫き、〝聖球〟と呼ばれた、
    ボビー・ジョーンズの夢があったからこそ、
    実現した輝かしい世界。

  • 人生の〝お花見日和〟は必ず巡りくる

    日々の雑感。
    個人的な回想。

    私の母は80才で、8人兄弟の3番目です。
    昨日は、入院した1番目の93才の姉を
    見舞うため、8番目の72才の弟と一緒に、
    お見舞いに行きたいとのことで、
    私は運転手を任命されました。

    姉も、妹も、いつしか94歳で旅立った、
    お婆ちゃんそっくりになり、
    弟は、お爺ちゃんそっくりになってきた。

    DNAは、人生の後半に特徴を表すことを
    微笑ましく眺めていると、

    1番目の姉の次男70才の甥がやってきて、
    流れのなかで婚約者を紹介されました。

    推定50代半ばの〝チハルさん〟
    とても優しく艶っぽい綺麗なかたです。

    思い起こせば、
    その甥の1回目の結婚式で(苦笑)、
    5才の私は花嫁のお手ひきしたのですが、
    今、当時の写真をみても花嫁はとても綺麗。

    人はいくつになっても、
    基本的な外見の好みは変わらないことと(笑)、

    人はいくつになっても、
    求めていればロマンスが訪れるということを、
    仲睦まじい恋人たちの姿に確信しました。

    かえりがけ、年老いた姉と弟が兼六園で
    水入らずのお花見をするとのことで、
    入園口で、お見送りしましたが、

    〝姉ちゃん〟〝マサオ〟と呼びあい、
    朗らかな笑顔で歩く二人の後ろ姿には、
    昨年、伴侶をなくした姉と、
    大病を患った弟の、
    労りながら、お互いを慈しみ、
    人生を懐かしむ、穏やかな愛が、
    木漏れ日のように静かに溢れていました。

    人生には色々ドラマはあるけれど、
    こんなお花見日和が必ず巡ってくることを、
    いつも信じて生きていたい。

    そう感じる1日でした。

  • 4月朔日 ~ 朝陽の影の美しさ

    朝陽の影の美しさ

    冬の間は雪に閉ざされ日照もなく、
    影を見ることがなかった金沢。

    2月に東京へ行った時、
    強い冬の日差しと、
    コンクリートの道に映る濃い影という
    自然現象に久しぶりに再会し感激しました。

    暖房器具や煌々と光る照明のある現代ですら、
    厳しい冬のあとの春は嬉しく、
    影にすら感動するのに、

    昔の人々は、すきま風の入る冷たい家で、
    食事も、暖も満足に得られない冬をすごし、

    春の訪れの喜びは、
    いかばかりだっただろうか。

    4月朔日
    鳥のさえずりや、影の芸術に、
    愛しさを感じる朝。

  • 明日、寿命がやってくるとしたら


    大切な友人のご母堂様のお見送りが、
    丹後ちりめんの喪服ドレスに袖を通す、
    最初の機会になりました。

    学生時代、ご自宅に遊びに行ったときに、
    迎えてくださった笑顔、

    その友人が母から受け継いでいる、
    女性としての、思いやりある言葉の機知、

    去年の夏、私の父を送ってくれたときは、
    『父母は高齢ながら元気だよ』と、
    話してくれた友人の表情や、情景。

    いろんなことを一つ一つ、思い起こしながら
    お参りさせていただきました。

    ひとつ気づいたのは、
    喪服の役割とは、
    他人から見て美しいか否かではなく、

    着るひとが安心して背筋を正し、
    故人との想い出や、
    自分のこれからの生きざまに
    心穏やかに集中するものであるということ。

    これまで如何に、
    自分の年齢や体型に合っていない喪服の
    居心地の悪さや、独り言の言い訳に、
    心が向いていたかに気づきました。

    会葬後、母に会いたくなり実家へ。

    母の手料理を食べながら、

    『もし明日、寿命がやって来たら、
    自分の80年は、なぜ生きたのだと答える?』

    と訊いたら、少し考えて、

    『家族の幸せを喜ぶために生きてきた』

    と、母は朗らかに答えました。

    『あなたは?』と、母に問われ、

    『私は、周りから大切にされる選択を重ねて、
    自分を幸せにしてきた自信はある』

    と答えたら、

    『それで充分! 親としては一番うれしい』

    と母は承認してくれました。

    過去を心から認めてもらい、

    これからは、今世に与えられた能力を
    ちゃんと探して、人様に役立てていく、
    そんな余暇の人生を喜ぼう。。と、
    未来にも肯定的になれた1日。

    帰りがけ、車のサイドミラーを、
    自宅前の電信柱にぶつけてしまい、

    仏壇に手を合わせることを、
    すっかりスキップしたことを
    ハッ!と、思い出しました(苦笑)

    壊れたミラーが、寂しがりやの父からの、

    『こら!オレを忘れてるぞ!』

    に感じる朝でもあります。

    みなさま、ご先祖様を大切に(笑)

  • 記憶の欠片~ 京都 備忘録

    川沿いのカフェに吹く風。

    とびきりの和牛のビーフシチュー。
    イノダコーヒーのウインナコーヒー。
    カーテンから差し込む朝陽の陰影。

    一つ一つが記憶の欠片。
    心地好い、春のまどろみ。

  • postcardで旅する世界

    京都文化博物館のギャラリースペースで、
    偶然に開催していた、
    『中谷守一 写真・ポストカード展』では、
    中谷さんが一年がかりで世界を旅して撮った、
    写真の数々をポストカードにして、
    展示販売していました。

    膨大な作品のなかから、8枚選んで購入。

    惹かれた風景は、イタリア、チェコ、
    イギリス、ポルトガル。


    独りうっとりしながら、
    フランス発祥のカフェで
    チーズケーキを食べる、
    西洋かぶれな京都の午後。


    @ Paul 京都三条店

  • 旧友に想う

    30年来の女友達と、久々の逢瀬。

    したことは忘れ、
    してもらったことを忘れない。

    6年前、彼女の50th birthdayを私が祝った。
    4年前、私の愛猫に彼女がお悔やみの花束を
    贈ってくれた。

    今日、彼女が私の50th を祝ってくれた。
    今日、私が彼女の愛犬にお悔やみの花束を贈った。

    お互いに、したことは忘れていて、
    してもらったことは覚えていたことに、
    えもいわれぬ相互の信頼を感じた一日。

    彼女のご主人様にはショコラのテリーヌを。

    彼女にはネイルパフュームオイルを。

    天国にいるラブラドールレトリバーの姫ちゃんには
    春色の花束を。

  • 50歳のbirthday 当日に想うこと

    朝の欠片 かけら
    一つ一つ、ピースを集めると、
    いつもどおりの空間には
    好きなものが散りばめられている。


    20年前から使っているマグや、
    春先になると毎年登場するクッションカバー、
    そのなかに、新参者の花瓶や洋書が加わって、
    自分ワールドのクラシックモダンが
    成立している。

    どんなシーンにもスルリと現れ、
    主役におさまるハルモニアは、
    天性の女優だなぁ。。
    と感心してシャッターをきる、
    スマホカメラマンのわたし。
    50才の誕生日、どんなふうに過ごそうかと、
    ずっと考えていましたが、
    何も特別なことはせずに、
    いつもどおりの日常を味わうことを選びました。
    積み重ねた自分らしさに囲まれ、
    太陽や、風や、水や、鳥の声という平和な天恵が
    50年も絶え間なく、当たり前のように
    与えられている奇跡。
    今日は、感謝を届ける日。
    大切な人たちに花束を贈り、先祖のお墓参りをする。
    貰うのではなく、
    贈る年代になった、悦びと誇りをこめて。