明日、寿命がやってくるとしたら


大切な友人のご母堂様のお見送りが、
丹後ちりめんの喪服ドレスに袖を通す、
最初の機会になりました。

学生時代、ご自宅に遊びに行ったときに、
迎えてくださった笑顔、

その友人が母から受け継いでいる、
女性としての、思いやりある言葉の機知、

去年の夏、私の父を送ってくれたときは、
『父母は高齢ながら元気だよ』と、
話してくれた友人の表情や、情景。

いろんなことを一つ一つ、思い起こしながら
お参りさせていただきました。

ひとつ気づいたのは、
喪服の役割とは、
他人から見て美しいか否かではなく、

着るひとが安心して背筋を正し、
故人との想い出や、
自分のこれからの生きざまに
心穏やかに集中するものであるということ。

これまで如何に、
自分の年齢や体型に合っていない喪服の
居心地の悪さや、独り言の言い訳に、
心が向いていたかに気づきました。

会葬後、母に会いたくなり実家へ。

母の手料理を食べながら、

『もし明日、寿命がやって来たら、
自分の80年は、なぜ生きたのだと答える?』

と訊いたら、少し考えて、

『家族の幸せを喜ぶために生きてきた』

と、母は朗らかに答えました。

『あなたは?』と、母に問われ、

『私は、周りから大切にされる選択を重ねて、
自分を幸せにしてきた自信はある』

と答えたら、

『それで充分! 親としては一番うれしい』

と母は承認してくれました。

過去を心から認めてもらい、

これからは、今世に与えられた能力を
ちゃんと探して、人様に役立てていく、
そんな余暇の人生を喜ぼう。。と、
未来にも肯定的になれた1日。

帰りがけ、車のサイドミラーを、
自宅前の電信柱にぶつけてしまい、

仏壇に手を合わせることを、
すっかりスキップしたことを
ハッ!と、思い出しました(苦笑)

壊れたミラーが、寂しがりやの父からの、

『こら!オレを忘れてるぞ!』

に感じる朝でもあります。

みなさま、ご先祖様を大切に(笑)