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自然のままで生きながらも道を外れない ~京都
京都出張の合間時間に立ち寄った、
『The writing shop』今年の七夕にオーダーしたペンが完成し、
そのお迎えが目的でした。オーナーの花恵さんは、
まさに『憧れを生きている女性』独自の美学をもち、
趣味のいい『見立て』をされる大人の女性は、
選ぶものすべてが、その人の人生や、思考を語ります。それは、装いやスタイルといった、
目に見えるものであったり、言葉や、嗜好や、価値基準や、
人との関わりかたといった、
目には見えないものであったり。ひとつひとつが、統合され、調和され、『自然のままで生きながらも道を外れない』というのは『自由そのもの』ではないだろうか。深みのある大人の魅力は、ただ年齢を重ねれば得られるものではなく、『自分を深める鍛錬』の先に輝くもの。 -
Freedom or Liberty
5年前、『人生における私の価値基準』
を考えたとき、①健康②愛③自由だった。その順位は、今も変わらないけれど、
『自由』の意味合いは大きく変わりました。以前の私にとっての自由とは、
『freedomフリーダム』の解釈だった。束縛されることのない受動的な自由。
そのままであり続けること。そして今の私が価値を見いだす自由は、
「Libertyリバティ」理想を実現するために、
他者や社会とぶつかってでも、
自らのかんがえを主張しようとする、
能動的な自由。自由を勝ち取るためには武力ではなく、
コミュニケーション技術が力となる。“調和力と和解力” は、
勇敢な旅の、優雅な相棒。コミュニケーションを学ぶということは、
それ自体が目的ではなく、
自分や他者の考えを深く理解し、
夢や理想を共創するために必要なこと。※イラストは、一筆描アーティスト大森慶亘さんに描いていただきました。 -
役割を脱ぎ捨てる
私たちは誰もが役割を持ち、
それを引き受け、日々、懸命に演じている。女性ならば、
有能な職業人だったり、
優しい母だったり、
賢い妻だったり、
気の利く嫁だったり、期待に応えようと日々演じながら生き、
うまくできないときは自己嫌悪に陥る。一方で、役割を演じるというのは、
安心を伴うもの。役割を持たない『素の自分』という曖昧さは
不安を誘う。もし、全ての肩書きを脱いだとき、
最後に自分に残るのは一体なんなのだろう。そんな問いを突きつけられた気がしました。ニコール・キッドマンが、
奇跡の美しさという役割を脱いだこの写真から、私は、しなやかで強靭な透明感を感じました。
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時代を超えるコミュニケーション
日本におけるラジオの歴史はおよそ100年、
テレビは90年、新聞は150年。これらのメディアは果たして100年後、
今のままのかたちで存在するだろうか。一方で、手紙の歴史は数千年。
きっと今のまま、100年後も存在するだろう。直筆から伝わる『その人の体温』
間(まあい)から生まれる『互いの距離感』
言葉が奏でる『その人の声』手間のかかるコミュニケーションだからこそ、
丁寧な気持ちと情緒が伝わる。最近届いた人魚姫の切手を添えた手紙もまた、
私にとって、大切な宝物になりました。 -
優雅さの極み
優雅さとは、余裕であり、余白であり、
目に見えぬものを信じられる寛容から
にじむもの。喧噪(けんそう)や、密集(みっしゅう)や、
社会的基準に支配された数値でしか
物事を判断できないところに、
優雅さは生まれない。先日、東京で教職に就いておられる紳士から、
水引カフリンクス『雪のひとひら』について
お問合せを頂きました。
『どこに行けば見れますか?』
という、ご質問に対し私は、『このカフリンクスは、エドワードエクリュの
ダブルカフスのシャツに合わせているので、
既製品として店舗販売しておらず、
しかも全てのシャツに合うわけではありません。もしよろしかったら、
サンプルをお送りするので、
お手持ちのシャツと合わせてみられて、
お気に召されたら、ご発注ください。作り手の作家は一人しかいないので、
オーダーから1か月頂戴します。しかも、素材自体は一本の水引です。
その一本に集中して、
ダブルトップに結び上げる技術の高さや、
結んでいる時間を優雅と捉え、
待つことを愉しめなければ、
きっと価値はお感じいただけません。』と、お答えしました。
すると紳士は、
『一本の水引が仲立ちとなった出会い、愉しみです。
そのカフリンクスに合ったシャツを
こちらで、オーダーします』と、まだ見ぬ『雪のひとひら』を
寛容に信じて、
運命に小さく賭ける愉しみをお持ちくださいました。余裕、余白、目に見えぬものを
信じられる寛容。優雅さとはなんたるか。。。を、
その教養人から身をもって感じさせていただき、
メールのやりとりまでが、
まるで物語のように美しく、感動的な時間でした。 -
装いとは人生哲学の表現である
昨年の秋、
東京の英国クラシックオーダースーツの専門店、EDWARDECRUSの木場氏から、茶道や香道の席で、ダブルカフスの洋礼装をしたときに身に付けられる、○裏のないダブルトップ
○金具を一切使わない、継ぎ目無の完全一体型
○ミリ単位までスーツの黄金率に忠実なサイズ
○優しい雪のように自然な白色
○雪の結晶を感じさせるシンプルな意匠こんな条件のカフリンクスを
水引で作れないだろうか。と相談を受け、水引作家の塚谷彩子さんと共に試行錯誤して『雪のひとひら』第一作目を作り上げたのが、昨年の12月。松岡正剛さんの中谷宇吉郎著書『雪』の紹介であり、中谷宇吉郎 雪の科学館でした。イギリスに留学していた中谷宇吉郎氏は、英国紳士の洗練をプライベートでも身につけていて、それは “雪の結晶” の研究のみならず、人生における、一貫した美意識の結晶でもありました。【 装いとは、人生哲学の表現である 】そう語り続けていらっしゃる木場さんとは、
必ず通じあうものがあると思い、1年という時間を経て、ようやく『雪の聖地』にご案内できました。一見、畑違いのようでありながら、それは、美意識という点で間違いなく結ばれていることを余談ですが、『雪のひとひら・カフリンクス』の初回作を東京に納品にいった際に、待ち合わせした場所の隣のテーブルに、遠州流の家元が座っておられ、神様から、取り組みを応援されている気持ちになりました。(極めて一方的に) -
普通のひとが創る、まちの景観
人は、自分という存在を、
正面のみならず、
全方位で語っている。普通の人が、
普通に歩き、
普通に立ち、
普通に笑い、
普通に会話し、
普通に過ごす姿が、優雅に見えたり、
きれいに見えたりすることほど、空間の質を高めることはない。
街の雰囲気を創っているのは、
そこに暮らす普通の人たち。フォーカスするのは自分ではなく、
自分を含む、景観。わたしたちは、
存在そのもので、
社会に貢献することができる。普通の人の、
日常の在り方こそが、
印象美な街の景観を創る。 -
Better Togetherな関係性
男女を問わず、どれほど魅力があって、
強く影響を受ける存在であったとしても、一緒に居ること(または関わることで)
自分を見失ってしまう相手とは、
Better togetherな関係は築けない。一方、お互い不足しているものを
補いあえる相手とは、学びあい、思考の枠を広げる関係性が築けるし、
人生の成長に繋がることだろう。でも、大人になって自分という存在を
より確立していく段階になると、一緒にいることで自分の根っこが
どんどん深まっていく相手を
求めるようになる。好きなもの、心地好いこと、
興味をそそるもの、嫌悪するもの、
苦手なこと、避けて生きてきたこと、一緒に居ることで、その理由に
息をするように自然に気づけたり、
より深く愉しみあうことができたとしたら、それこそが、Better Togetherな関係性が
築けている証。 -
失ってこそ、得られるもの
失ってこそ、得られるもの。
それを引き出すのは、
年齢相応の自分らしい装いであり、
積み重ねた経験であり、人生の選択が描いた絵であり、
自分が自分を認める気持ち。人生の春夏をすぎて、
秋冬に向かう芳醇な旅は、大森慶宣さんの作品@ Atelie&rgallery creava -
気まぐれこそ天から得た美質
ジャズ・ピアニスト
故・世良譲さんとの想い出。金沢では毎年冬になると、
『フードピア金沢』というイベントが開催され、各界文化人と金沢市民が、料亭やレストランで食談するという、恒例人気企画があります。当時30代だった私が、
その年の司会を担当したのは、デビュー50周年を迎えられた、ジャズピアニストの世良譲さんでした。フレンチレストランでの食事の合間に、30分ほどトークタイムを設けて、世良さんと司会者が参加者を前に、ステージで対談するという、ごく一般的な台本でしたが、世良さんは、ご自分の主賓席のお隣に、
私の席を急遽用意して、司会者も一緒に食事しながら、会場の方々と自由に話すスタイルにしたい。という前代未聞の提案を決行。予定外のシナリオに混乱するスタッフや、私を尻目に、飄々と食事し、お酒を愉しみ、参加者のリクエストに応えて、即興でピアノを演奏し、くだけた質問にも笑いを交えて答え、明るく華やかな最高に愉しい夜を演出されました。その夜のフィナーレに演奏された曲は、
『Days of wine & roses 酒とバラの日々』今でもこの曲を聴くたびに、
ダンディで、セクシーなあの日の紳士を想い出します。周囲からは『気まぐれ』
と捉えられる行動というのは、実は空気を柔軟に読み、動物的な感覚に従ったほうが、結果的にall rightになるよ。という、練度の高い大人の成功体験がなせる技なのだと知りました。““気まぐれこそ天から得た美質”“
三島由紀夫の小説の言葉通りに生きられたかた。あの日にプレゼントしていただいたCDを、
何故か無性に聴きたくなった夜。