優雅さの極み

 
優雅さとは、余裕であり、余白であり、
目に見えぬものを信じられる寛容から
にじむもの。

喧噪(けんそう)や、密集(みっしゅう)や、
社会的基準に支配された数値でしか
物事を判断できないところに、
優雅さは生まれない。

先日、東京で教職に就いておられる紳士から、
水引カフリンクス『雪のひとひら』について
お問合せを頂きました。


『どこに行けば見れますか?』
という、ご質問に対し私は、

『このカフリンクスは、エドワードエクリュの
ダブルカフスのシャツに合わせているので、
既製品として店舗販売しておらず、
しかも全てのシャツに合うわけではありません。

もしよろしかったら、
サンプルをお送りするので、
お手持ちのシャツと合わせてみられて、
お気に召されたら、ご発注ください。

作り手の作家は一人しかいないので、
オーダーから1か月頂戴します。

しかも、素材自体は一本の水引です。
その一本に集中して、
ダブルトップに結び上げる技術の高さや、
結んでいる時間を優雅と捉え、
待つことを愉しめなければ、
きっと価値はお感じいただけません。』

と、お答えしました。

すると紳士は、
『一本の水引が仲立ちとなった出会い、

愉しみです。
そのカフリンクスに合ったシャツを
こちらで、オーダーします』

と、まだ見ぬ『雪のひとひら』を

寛容に信じて、
運命に小さく賭ける愉しみを
お持ちくださいました。

余裕、余白、目に見えぬものを

信じられる寛容。

優雅さとはなんたるか。。。を、
その教養人から身をもって

感じさせていただき、
メールのやりとりまでが、
まるで物語のように美しく、
感動的な時間でした。