小さな敬意・些細な丁寧
今日は丑の日。
鰻のかば焼きを買い求めました。
その足で、自然食のお店に行き、
いつもの五分づきの玄米ではなく、
鰻に合うように白米に精米してもらう。
丁寧に焼いてもらった鰻だと思うと、
精米したての品質の高いお米を用意したくなる。
朝採れの枝豆だと思うと、
贅沢に、茹で塩から珠洲の天然塩を使おうと思う。
木なり完熟のトマトなら
へたをとって、塩を浸透させてラップして
最高においしい冷やしトマトにしてあげたい。
人間同士もきっと同じだろう。
お店の雰囲気に合わせて
装いを選ぶお客様には (敬意)
きっと心地よい接客がもたらされる (丁寧)
新築住宅に家具を運ぶ家具やさんの
靴下が冴え冴えと真っ白だったら (丁寧)
その人は名前で覚えられて、
施主に感謝されるだろう (敬意)
丁寧には、敬意が返ってくる。
敬意には、丁寧が返ってくる。
そして不遜には、軽蔑が返ってくるだろう。
大人であるからには、
【小さな敬意】を払われるひとになりたいし、
【些細な丁寧】に気づけるひとになりたい。
私が考える日常の一座建立って、
そんなこと。
ピカピカに精米されたお米のために
土鍋を用意しながら、ふと、そう思った2013年丑の日。