人生に、夢やビジョンは必要ですか?
明確な夢やビジョンがないことで、
自分に軸がないように感じる人も
いるかもしれない。
でも、人は誰もが、
【 自分の人生をしあわせにする 】
という、絶対的な使命もって生まれている。
夢やビジョンすら、その手段であり、
いたってシンプルなこと。
【 自分の人生をしあわせにする 】
それを、利己的と捉える、
短絡的な人もなかには、いるけれど、
人は自分1人ではしあわせにはなれない。
大切な人を愛する訓練を積み重ね、
誰かが喜んでくれたときに、
人はしあわせに充たされる。
年齢を重ねるごとにますます、
誰かの役に立つことや、
社会の役に立つことこそが、
自分をしあわせにしてくれる場合が
多くなる。
『愉しさ』を手にするのは簡単だけど、
『しあわせ』は努力が必要なのです。
だからこそ、
自分をもっとしあわせにするために、
楽(ラク)じゃないことにも挑み、
もっと質の高いしあわせのステージに
向かおうと努力する。
しかし、時として人生には矛盾もある。
例えば、
『一時の喜びはあるけれど、
しあわせを感じないこと』
喜びのあとに、
虚しさや、罪悪感が押し寄せると、
わかっていながら、止められないこと。
それは、
ギャンブルの享楽であったり、
男女間の欲望であったり、
喫煙や過食、朝寝坊といった類いの、
ひととき小さな快感をもたらす、
怠惰な日常習慣であったり。
だって人間だもの。。
そんなときこそ、
『考える機会』と捉え、
『小さなひとときの快楽』を、
『大きな絶対的なしあわせ』に、
に変換する方法を思索する。
『大きな絶対的なしあわせ』に、
に変換する方法を思索する。
すべての『経験』『思考』は、
かけがえのないもの。
『ダメな自分』と感じるひとときもまた、
自分の人生をしあわせにするための、
一種のスパイス。
程よい塩梅であれば、
しあわせを引き立たせてくれるものであり、
多すぎれば人生を台無しにするものでもある。