恥ずかしさの価値観
相手を理解するというのは、とても奥深い。
結婚相手に望むこと。
その筆頭に挙げられるのが「価値観の共感」だろう。
その筆頭に挙げられるのが「価値観の共感」だろう。
離婚理由に「価値観の違い」が多いことでも、
それは立証される。
価値観というと、
おいしいと思うもの、
美しいと感じるもの、
大切にしたいと願うもの、
楽しいと興ずるもの、
・・・といった、ポジティブな価値観を
重視する場合が多いけれど、
重視する場合が多いけれど、
現実の生活では、
恥ずかしいと思うこと、
みっともないと感じること、
生理的に嫌悪すること、
・・・・といった、
ネガティブの価値観の一致のほうが、
ずっと大切な場合が多い。
なぜならば、楽しいことは
一人でしても楽しいし、
美味しいものは、ほかの人とも
食べることができる
食べることができる
でも、恥ずかしいと思うことを
身内である家族にされたり、
生理的に嫌悪する行為を
正当化する発言を聞くのは、
かなりつらい。
正当化する発言を聞くのは、
かなりつらい。
消防車のサイレン
「火事現場を見に行こう」と言われて、
好奇心を掻き立てられる人もいれば、
眉をひそめて嫌悪する人もいる。
食事に行った先で、
一人前がかなり大盛りで食べきれない。
食べ物を残すのは恥ずかしいから
一人前をシェアしよう。という人もいる。
二人で一人前しか註文しないのは
お店の人に悪いから、
残す前提であっても、人数分注文しよう。
という人もいる。
どちらも悪くない。
恥ずかしさの価値観が遠いだけ。
これは結婚に限ってのことではない。
人間同士、お互いが歩み寄るためには
相手の「恥の価値観」に共感することが大切。
到底、同感はできなくても、共感ならできるはず。