好ききらいは神様の感覚
エレガンスとは、見た目ではなく、
思考である。
例えば、甘いスイーツ。
甘いものの『好き嫌い』は其々あるだろう。
でもそこに『糖質は悪!』という
『善悪論』を持ち込むと、
話は一気にややこしくなる。
『善悪』は、人間が生きやすい世の中を
作るために勝手に作ったルールであり、
時代とともに変化するし、国によって、
家庭によって、人によっても、
大きく変わるもの。
一方、『好き嫌い』は、神様の感覚。
天から降りてきた感情を、
人はコントロールすることができない。
もっといえば『好き嫌い』があるからこそ、
個性が薫る。
私の考えるエレガンスとは、
『嫌い』のなかにも
『善』を見つける目をもっていたり、
『好き』のなかにも
『悪』があることを
謙虚に受容できる思考をもつこと。
世の中のスキャンダルに対して、
『個人的な嫌い』を『社会的な悪』に
すり替えて糾弾している人は、幼く見える。
そして『個人的な嫌い』を感情の赴くまま、
振りかざすことが許されるのは、
赤ちゃんだけである。
『私は好きにはなれない、なぜなら~』
と、相手の立場をおもいはかって
観念を語ることは、人生への自信であり、
『社会的な善』という権威付けを
必要としない勇気である。
エレガントな言葉を使うひとが
優雅なのではなく、
その言葉を選んだ思考にこそ、
優雅の本質がある。
そしてその本質が振る舞いや外見に宿る。
優雅の本質がある。
そしてその本質が振る舞いや外見に宿る。
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