際立ちのよいひと~印象美の記憶①

『目立つ』ことと『際立つ』ことは全く違う。

ひとと違えば『目立つ』けれど、
それが他者の心地よさを引き出す美しさとは限らない。

『際立つ』とは、周囲と明らかに違うこと。
しかも肯定的に。

私なりの解釈では、

【景観の一部として、よい存在感を放つひと】

【 環境と馴染みながらも、画になるひと 】

そんなひとは少数だからこそ、
結果的に際立つ状態をつくります。

以前、ブライダルの司会で入っていた
ホテルの介添えさんに、
『大層、際立ちのよいひと』が
いらっしゃいました。

介添えさんとは、
花嫁さんの身の回りに気を配り、
行動をスムーズに導くお役目があります。

ユニフォームが洋服の会場もありますが、

和装の花嫁さんには、着物姿の介添えさんが
似合わせとして相応しいと私は思います。

年の頃なら50代後半のそのかたは、
ショートカットで着物を自然に着こなし、
ハンカチを差し出す姿さえ、画になる。

ただ立っているときも、
微笑みを絶やさず、
緊張した空気さえも、
穏やかな優しさで支配する。

何よりも、
その人がビデオや写真に映りこんだときに、
その場の質を高め、
絵に額縁を添えるかのごとく、
花嫁をより一層、
品よく美しく見せる存在力の高さ。

どんなに新郎新婦が
最高の笑顔のショットであっても、
背景に映りこむスタッフの姿が
弛緩していたら、
その最高の一枚は、
無意味なものになってしまう。

『際立ちのよいひと』とは、
最高のエキストラであり、
自分の役目を、
外見と振る舞いで表現するひと。

自己顕示欲という個性を、
知性と思いやりで、
程よい量だけ、
周囲に届けることが出来るひとなのです。