清貧(せいひん)の捉え方

昔話をするなかで、

『○○医院の先代院長先生は、
清貧という言葉がピッタリくる人だったね』

と (褒め言葉のつもりで) 言ったあとで、

清貧(せいひん)は、サウンドを同じくする、
製品 、正賓などと誤解されることを危惧し、

『 清貧は、清い貧しさって書くほうね 』

と付け加えたら、 ディスっていると
言われてしまいました💧

十数年前、『清貧の思想』(中野孝次 著書)
という本が出たとき、ベストセラーに
なるとともに批判する本も出ました。

経済面からは「無気力な生き方への肯定」
または『貧しさを指す差別的表現』
としてです。

しかし「清貧」とは、
『自由でゆたかな内面生活』を、自らが
あえて選んだシンプル・ライフのこと。

その先代の院長について思い出すのは、

使い込まれた英和辞典に、
カレンダーの裏面白紙を利用した
ブックカバーをかけていらして、

その背表紙に書かれた直筆の
『英和辞典』という文字が達筆で、
余白のバランスが美しく、
intelligenceに溢れていたこと。

待合室の手編みの座布団カバーには、
一切の綻びがなく、色柄合わせが完璧で
いつも均等に秩序を保ち並んでいたこと。

古い建物の隅々には塵一つなく、
窓から差し込む光だけが、
いつも清潔で新しかったこと。

もともと「清貧」と言うのは禅宗の言葉。

「ものは少なく、あるものは無駄なく活かす」
という精神。

でも現代は、
『清々しくありたい』という憧れより、
『貧(ひん)したくない』という畏れのほうが
インパクトを持つ。

もともととか、語源というものを
説明せねば使えない言葉は、
どんな精神性があっても誤解を生む。

でも、感性に訴える言葉は、
誤解を恐れず使うことで
価値観を同じくする仲間を
見つける手段にもなる。

それは去年出会った『官能都市』
という言葉と同じなのかもしれない。