一生かけて、自分の個性を創る
今の若者たちは
「生きている実感」が薄いようだ。
と、テレビで言っていました。
「生きている実感」が薄いようだ。
と、テレビで言っていました。
「生きている実感」ってなんだろう?
仕事で進めてきた計画が達成したとき。
好きな人と結婚したとき。
子供の成長を目の当たりにしたとき。
いろんなシーンでひとは、
「生きててよかった! しあわせだ!」と思う。
でも現実は、
「めでたし、めでたし」では終わらない。
有難いと思い、感謝し、
ひたすら平穏に落ち着いていくうちに、
勇気は失う、気力は減る、忍耐は甘くなる、
体は弱くなる、ものが億劫になる、
と、喪失ばかりである。
これは幸田露伴の娘で、随筆家の
幸田文の「しあわせぼけ」の一節。
「しあわせぼけ」って、優しい響きだけど
実は残酷で、上手に付き合うのが難しい。
私もこれまでに、この「しあわせぼけ」の中で、
「生きている実感」を何度か失った。
しあわせなはずなのに、毎日焦っていて、
心が消耗する感じ。
本物の「生きている実感」というのは、
「しあわせぼけ」から一歩踏み出し、
自分の無知、無力、無教養と向き合い、
もがいているときに
感じるものではないかと思う。
そして、考える筋肉が鍛えられるなかで、
少しずつ創られていくのが、
唯一無二の、自分の個性なのだろう。
人は一生かけて、自分の個性を創る。
「しあわせ」を感じる瞬間は素晴らしいけど、
「しあわせぼけ」している時間はもったいない。