有限の時間を、無限のように振る舞う優雅さ

前職はアナウンス業で、いつも時間に縛られていた。
生放送も、ナレーションも、秒単位。
『 時間内に納める 』
という美学に支配されて生きていたため、
腕時計が必須でした。
ある日、旅先で最愛の腕時計を失くすという
残念なトラブルに遭い、
急に、腕時計なしの生活が始まったときに、
はたと、気づいてしまった。
私は、なんて頻繁に腕時計を見ていたのだろうか。
ということ。
手元を見る、しかし時計がない。
そんな、違和感を経験して初めて知った所作の悪癖。
目の前のひとから、時計を見る仕草をされて、
嬉しいひとはいない。
退屈なのか、
落ち着かないのか、
忙しいとアピールしたいのか、
これまでの私の人生、
きっと無神経に、
目の前のひとを落胆させていたのだろう。
それ以来、ずっと腕時計はしていない。
失くした時計以上に好きになれるものに、
出会えなかったのも理由のひとつ。
『人生は有限』『時は金なり』
時間は貴重な命であることは重々理解しつつ、
有限の時間を、
まるで無限かのように振る舞う優雅さが
自分のスタイルであってもいい。
と、思うようになりました。
もちろん、うっとりするほど大好きな時計と、
日々、何度も目線を合わせる喜びはよくわかるし、
人生の時を刻む時計が、
セルフイメージそのものであることも、
深く理解できる。
特に、スーツを着たときに腕時計がないと、
間が抜けたような感じがして、
いつしか私のクローゼットは、
ワンピース中心のワードローブになりました。
なによりも、
目の前のひとと、竜宮城のような時をすごし、
時計にセルフイメージを委ねない。
そんな生き方が、とても心地好くなり、
ようやく、旅先で別れた彼女へのせつない思慕が、
ノスタルジックな思い出に変わった気がします。