人を見る目が養われる、を考える

金沢の鈴木大拙館には、

鈴木大拙氏と大海原の写真パネルがある。

『大拙先生が、海を見ている』と捉えるか、
『海が、大拙先生を見ている』と捉えるか。

いつからだろうか、毎月、毎月、

5人の技術者の手を借りて行われる儀式。
ハンドネイル、ペディキュア、

顔と首筋のシェービングエステ、
まつげパーマ、整体、ヘアカラー&カット
滞りなく儀式を終えると、安堵感に包まれる。

これは女子力云々ということではなく、
私の職業において安定レベルを保つことが、
仕事を得るために必要だから
毎月欠かさず、ずっと続けている。

20年余りの仕事人生、

過去、不況下では、
仕事が劇的に減る時期もあったけれど、

仕事が減ったからといって、
一回に頂く報酬額は変わらないし、
変える気もないのだから、
かかる経費を減らすわけにはいかない。

打ち合わせで見られているペンを持つ手、

背後の人からは意外に目立つ首筋、

突如、お料理屋さんなどで
靴を脱ぐシチュエーションになっても
慌てずにすむ爪先やカカト。


人は色んな場面で、相手の外観から
さまざまなメッセージを受け取っています。

その人の美意識、感性、生活環境、
経済レベル、
几帳面さなど性格にいたるまで、

誰もが見ているし、見られている。

年を重ねるごとに、
人を見る目が養われるということは、

年を重ねるごとに、
人の細かい部分まで見て、聴いて、
つぶさに感じながら、
過去の経験に照らし合わせ、
冷静に分析、評価する力が
養われているということ。
あなたも、わたしも。

私たちは海を見ているつもりでいますが、
圧倒的に大きな海から、
始終見られている存在。
どんなに景気が変わっても、
外では変わらぬ自分で居続けた人達だけが、
結局は海から承認され、
最後に残ることができる。

それは、サービスや品質に置き換えれば、
どんな職業にも同じことが言えるのだろう。

今月も滞りなく儀式を終えることができた。

それは儀式を遂行することに
苦労した時期があったからこそ持てる感謝。

お客様にも、技術者の皆さんにも、
健やかに働ける自分自身の身体にも。

ありがとう、ありがとう。

明日から大海に臨むための、安心を纏う。